年 | 相模原市の歩み | 藤本鋼材の歩み |
---|---|---|
昭和29年 | 相模原市誕生。 | (有)藤本商店、世田谷区北沢にて鋼材を販売。 |
昭和30年 | 工場誘致条例を制定。 誘致第1号はカルピス食品工業(株)。 |
藤本末蔵が代表取締役に就任。 |
昭和42年 | 人口20万人を超える。 | 相模原市に土地を購入。 |
昭和44年 | 市役所本庁舎が完成。 夏の甲子園で、東海大相模高校が初優勝。 |
社屋・倉庫 を新築し、相模原市にて鋼材販売を開始。 相模原第2倉庫が完成。 |
昭和49年 | キャンプ淵野辺全面返還。 人口急増により、学校建設ラッシュ。 |
(有)藤本商店を藤本鋼材(株)に変更。 資本金を2800万円に増額。 資本金を5000万円に増額。 |
昭和52年 | 人口40万人を超える。 | 鋼板及び縞鋼板の切断・折曲加工を開始。 |
昭和56年 | 米軍医療センター全面返還。 | |
昭和62年 | 人口50万人を超える。 | |
昭和63年 | JR横浜線古淵駅開業。 | 相模原営業所、新社屋完成。 |
平成2年 | 京王相模原線が全面開通。 | バンドソー切断を開始。 |
平成6年 | 市制施工40周年。 相模台工業高校、全国ラグビー大会で初優勝。 |
相模原営業所を相模原支店に変更。 |
平成10年 | 国道16号橋本高架橋が開通。 | |
平成19年 | 人口70万人を超える。 | プラズマ切断を開始。 |